清洲城
更新日:2023年12月20日
清洲城・あいち朝日遺跡ミュージアム共通入場券について
令和2年11月22日に「あいち朝日遺跡ミュージアム」が開館しました。朝日遺跡は、全国的にも有数の規模を誇る弥生時代の環濠集落として知られています。清洲城にお越しの際には、あわせて訪れていただきたい新スポットです。
そこで、清洲城とあいち朝日遺跡ミュージアムの共通入場券を販売しますので、清洲城及びあいち朝日遺跡ミュージアムの券売窓口にて、ぜひお求めください。
販売場所 |
清洲城及びあいち朝日遺跡ミュージアム 券売窓口 |
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金額 | 大人 550円 |
有効期間 | ご購入された日から6か月間 |
所在地
清須市朝日城屋敷1番地1
問い合わせ
清洲城管理事務所 電話052-409-7330
開館時間
午前9時から午後4時30分まで
休館日
月曜日〈休日の場合は直後の平日〉、12月29日から31日
ただし、桜の花見期間は開館
施設紹介
郷土の英傑・織田信長公の天下取りの出発点であり、戦国の世を終結させ天下平定を目指す武将が重要拠点としていた清須城。平成元年に現在の場所に『清洲城』として再建整備されました。金色に輝く鯱を屋根にいただく『清洲城天主閣』は、御殿の内部に「黒木書院」「芸能の間」を配した『芸能文化館』、五条川に架かる赤い『大手橋』とともに、清須市のシンボルとなっています。
また、桜の名所でもある清洲城周辺においては、今後もその景観を維持するため、平成31年度元気な愛知の市町村づくり補助金により桜を増殖しました。
清洲城天主閣常設展示
1階 プロローグゾーン
・・・清須の成り立ちと歩みを知る
朝日遺跡に代表される古代から中世、尾張国の首府であった時代を経て、「清須越」から平成17年の清須市誕生、平成21年の春日町合併にいたる清須の歴史をダイジェストでご覧いただきます。
2階 戦国の都・清須ゾーン
・・・関東の巨鎮・清須の全貌を体感する
清須城を中心に「関東の巨鎮」と言われた清須城下の都市機能の全貌を知る「清須城と城下町」がテーマの展示です。戦国時代の清須城下の喧騒や信長公麾下の武将たちの暮らしなど清須の全貌を体感していただきます。
3階 覇者たちのルーツ・清須ゾーン
・・・清須が育んだ先人達の偉業にふれる
信長公の偉業を中心に、秀吉・家康をはじめ信長公麾下の武将たちと清須との深い関わりあいを紹介し、「覇者たちのルーツ・清須」が歴史に果たした役割、功績を検証します。
4階 天下一吉例ゾーン
・・・清須の天主で浩然の気を養う
最上階の4階では、「吉例の地・清須の天主に立ち、浩然の気を養う」をコンセプトに、先人たちが夢をかなえていった清須の眺望を楽しんでいただきます。
きよすの表記について
「きよす」の表記は、文献その他歴史的にも「清須」「清洲」の両方の記載が見られます。古くは「清須」の表記が多く後に「清洲」の表記が多くなっています。そこで、今回の展示リニューアルに際しては、慶長15年(1610年)の『清須越』を境目に清須越以前を「清須」、「清須城」と表記し、それ以降の宿名、町名を「清洲」と表記しています。また、現在の施設固有の名称としては「清洲城」として表記しております。
清洲城へのアクセス
交通アクセス
名鉄 名古屋本線新清洲駅から徒歩15分
JR 東海道本線清洲駅から徒歩15分または
きよすあしがるバスオレンジルート
城北線 星の宮駅から徒歩20分
名古屋第二環状自動車道 清洲東インターから車5分
名古屋高速道路 清須出口から車5分
※無料駐車場あり。
清洲城天主閣入場料
区分 | 個人 | 団体 |
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大人 | 400円 | 300円 |
小人 | 200円 | 150円 |
小人は小中学生。団体は、30名以上。幼児は無料。
身体障害者手帳、精神障害者保健福祉手帳、戦傷病者手帳、被爆者健康手帳又は療育手帳の交付を受けられている方は無料、その付き添いの方は1名まで半額。
清洲城特定施設使用料
午前 | 午後 | 夜間 | ||
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芸能文化館 | 芸能の間 | 5,000円 | 5,000円 | 閉館 |
同上 | 黒木書院 | 3,000円 | 3,000円 | 閉館 |
清洲城広場 | 多目的広場 | 無料 | 無料 | 1時間につき100円 |
1 時間の区分
午前:午前9時から正午まで
午後:午後1時から午後4時まで
夜間:午後7時から午後9時まで
2 芸能文化館の使用料は、時間割計算しません。また、午前から午後にわたって継続して使用する場合の使用料は、午前と午後の使用料の合算額とし、正午から午後1時までは、使用料に加算しません。
3 多目的広場の使用時間は、夜間を除き1回につき2時間を単位とします。
尾張の首府が甦る【歴史織りなす 清須のお城】
室町時代応永12年(1405年)、尾張国の守護職であった斯波義重が、守護所であった下津城(稲沢市)の別郭として建てられたのが清須城の始まりといわれています。
文明8年(1476年)戦乱により下津城が焼失した後の、文明10年(1478年)守護所が清須に移転することで、清須が尾張国の中心地となります。京や鎌倉に連絡する往還と伊勢街道が合流する交通の要衝でもあり、尾張の政治・経済・司法の中心地として繁栄を迎えます。
弘治元年(1555年)に織田信長公が那古野城(なごやじょう)から入城、尾張を統一掌握したころの清須城の基本構造は、守護の館と同じだったと考えられています。永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いに勝利した信長公は、ここ清須から天下統一への第一歩を踏み出しました。
天下統一へ突き進む途上、本能寺の変で斃(たお)れた信長公の跡目を決める清須会議の後、城主となった次男、信雄によって改修された清須城の城郭は、天守を備え東西1.6km、南北2.8kmにも及ぶ巨大な郭域の中に城下町のあらゆる機能を備えた城塞都市として過去最大の規模に達します。
その後城主は、織田家から豊臣秀次(関白)、福島正則(秀吉子飼の大名)と移り、天下分け目の関ヶ原の戦いでは、東軍の最前線の城として重要な軍事拠点となります。関ヶ原以後、城の主は松平忠吉(家康四男)、徳川義直(家康九男)と変遷しますが、この頃の清須城下は、人口6万人を数える賑わいを見せ、朝鮮通信使の記録にも「関東の巨鎮」と称され、また、清須城は「天下の名城」と讃えられました。
慶長15年(1610年)徳川家康は、清須城廃城と名古屋城築城を命じ、町の建物、町の機能全てが移転する「清須越」が行われました。これにより尾張の政治・経済・司法の中心は清須から名古屋へ移り、清須城とともにその城下町は歴史から姿を消し去りました。なお、名古屋城築城に際し取壊した清須城の資材が再利用され、特に名古屋城御深井丸(おふけまる)の西北櫓は、「清須(洲)櫓」とも呼ばれ清須城天守の古材でつくられたといわれます。
平成元年(1989年)、四百年近くの年月を経て歴史ある城が「清洲城」として天主閣をはじめ、芸能文化館、清洲城広場などをしたがえ地域のシンボル、平成のお城として甦りました。
きよすあしがるサイクル
ご利用案内
豊かな歴史資源に恵まれた清須市内を周遊していただく手段として、自転車の貸し出しを行う「きよすあしがるサイクル」を実施しています。
清洲城へお越しの際には、ぜひご活用ください。
貸出方法 | 1 午前10時から清洲城内の所定の窓口(券売窓口又は芸能の間特設窓口)で受け付けています。 |
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返却方法 | 1 貸出を受けた自転車は、必ず当日の午後4時までにサイクルポートへ返却してください。 |
利用可能日 | 清洲城の営業日 |
対象者 | 小・中学生以上の方 |
利用料 | 100円(1日1回) |
利用の注意点 | 1 交通規則を遵守してください。 |
お問い合わせ
市民環境部 産業課
清須市役所南館3階 (〒452-8569 清須市須ケ口1238番地)
電話番号:052-400-2911(代表)
ファクシミリ:052-400-2963