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清須の人物伝

更新日:2014年2月1日

天下統一をめざした三人の英傑が集う〔戦国時代・安土桃山時代・江戸時代〕

織田信長

 織田信長は天文3年(1534年)、今の愛西市と稲沢市の境にあった勝幡城で生まれたといわれています。信長が生まれた家は、当時の尾張の中心地である清須にいた守護代の家来にすぎませんでした。しかし、成長すると、信長は次々に戦いに勝利し、清須城を拠点に尾張を支配するようになりました。
 さらに、永禄3年(1560年)、信長は尾張に攻めてきた今川義元と戦うために、清須城を出発しました。これが有名な桶狭間の戦いです。今川軍が二万人とも四万人ともいわれる大軍なのに対し、織田軍は五千人しかいなかったといわれていますが、信長は戦いに勝利しました。これをきっかけに、信長は天下統一へと一気に突き進んでいきます。この後、信長自身は清須城を出て、小牧、岐阜、安土と本拠を移しました。尾張は長男の信忠、つづいて次男の信雄が支配して、清須城や城下を拡充しています。

豊臣秀吉

 豊臣秀吉もまた天下統一のきっかけを清須でつかんでいます。
 秀吉は天文6年(1537年)、今の名古屋市中村区で生まれたといわれています。信長が尾張を統一した頃に家来となりました。その後、清須城修理などの仕事で認められ、次第に信長の有力な家来になっていきました。
 本能寺の変で信長が明智光秀に討たれてしまうと、信長のかたきをうつために、明智光秀と戦い勝利しました。その後、天正10年(1582年)、清須城で信長の跡継ぎを誰にするかを家来たちが話し合った清須会議が行われました。その話し合いで、秀吉は主導権を握ることに成功しました。以降、秀吉は信長亡き後のナンバーワンの地位を獲得していきます。
 秀吉時代の尾張は、甥の豊臣秀次、つづいて家来の福島正則が清須城主となりました。

徳川家康

 清須の運命を大きく変えたのは徳川家康です。
 家康は天文11年(1542年)、岡崎城で生まれました。秀吉亡き後、家康はもっとも力のある大名となっていました。その後、家康は関ケ原の戦いに勝利して、江戸に幕府を開き、尾張は、自分の子どもたちに支配させました。そして、自らの権力をより確かなものとするために、重要な地域であった尾張の中心地を清須から名古屋へ移すことを決定し、清須の城下町は、城や武家はもちろん、寺社、町名、町屋に至るまで、丸ごと名古屋に移されました。これが「清須越(きよすごし)」と呼ばれるものです。
 当然、それまで繁栄していたまちの姿は一変しました。しかし、そこから新たな清須が始まっていくのです。

青物市場の祖〔江戸時代〕

市兵衛・九左衛門

 清須越によって尾張の中心地としての機能を失った清須に再び活況と繁栄を取り戻す契機となったのが青物市場「下小田井の市」です。この「下小田井の市」の礎を築いたのが市兵衛と九左衛門でした。2人は慶長19年(1614年)の大阪冬の陣の際、徳川家康より市場開放の命を受けたという伝承が残されています。この市は2人の尽力と地域の人々の協力のもと発展し、江戸の神田、大坂の天満とともに日本3大青物市場として並び称されることになります。
 こうして「下小田井の市」は江戸時代を通じて一大消費地・名古屋の食生活を支えていくことになるのです。

新川開削の立役者〔江戸時代〕

水野千之右衛門

 清須の中心を流れている新川は自然にできた川ではなく、江戸時代の人たちが平野を掘ってつくった人工の川です。この新川をつくった立役者の一人が水野千之右衛門です。
 新川ができる以前、庄内川には多くの支流が流れ込み、大雨のたびに洪水がおこり大きな被害をもたらしていました。この事態を解決するため尾張藩は新たに新川を開削して支流の一部を伊勢湾に誘導することを計画します。この大工事の中心人物となったのが治水学に優れた水野千之右衛門でした。
 工事は天明5年(1785年)に始まり、ほぼ三年の月日を費やして完成し、ようやく近隣の村々は洪水の悪夢から解放されることになったのです。
 文政2年(1819年)には千之右衛門の功績をたたえる記念碑が建てられその偉業を現代に伝えています。

現代も活躍する清須越の商人〔江戸時代〕

清須越商人

 清須越の商人の多くが尾張藩の中で特権的な地位を得ています。清須出身であることは商人にとって一つのステータスでした。その代表的な人物が名古屋の百貨店・松坂屋の創始者・伊藤蘭丸祐道や竹中工務店の創始者・竹中藤兵衛正高です。
 彼ら清須越商人の多くはもともと武士でしたが、戦国から江戸時代へと時代が移りゆく中、自らの生き方を改めて大きな成功を収め、城下が名古屋へ移った後でも清須出身の人々が活躍し続けたことがわかります。

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企画部 人事秘書課

清須市役所北館3階 (〒452-8569 清須市須ケ口1238番地)

電話番号:052-400-2911(代表)

ファクシミリ:052-400-2963

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